9月 05 2012
民事訴訟の自白制度は領土問題の参考になる
裁判における自白は、実は刑事訴訟と民事訴訟では取り扱いが異なります。一般的には、刑事ドラマなどの影響で刑事訴訟における自白のイメージが普及しているように感じます。しかし、実際の件数で比較すると、刑事訴訟の何倍もの数の民事訴訟が行われているのが現実なので、ここで民事訴訟の自白について説明しておきましょう。
刑事訴訟で言う自白とは積極的に罪を認めることを指しますが、民事訴訟では積極的に相手の言い分を認めること以外にも擬制自白という制度があります。擬制自白とは、相手の主張に対して何の反論もせずに黙っていると、それは相手の言い分を認めたのと同じことだと裁判所が認定する制度です。
この制度がある為に、民事訴訟では相手の主張に対して黙っているのは非常にマズイやり方になります。きちんとした理屈が考え付かなかった場合でも、とりあえず、相手の言い分には反論しておくという態度が時には必要になります。(理屈は反論した後で、ゆっくり考えれば良いのです)
よく、裁判所から訴状が届いたのに何もしないで放置しておく人がいますが、これは相手の言い分を全面的に認めたとみなされてしまい最悪の結果を招きます。この状態で判決が出れば全面敗訴、間違いなしです。
この制度の怖いところは、例え架空請求であっても、相手が黙って反論しなければ、裁判上は架空請求が事実として判決がでてしまうことです。
何故、このような仕組みになっているかというと、もともと民事訴訟という制度が明治時代に西洋から輸入されたものだからでしょう。この擬制自白という考え方は、まさしく西洋的なものの考え方です。ようは、「言いたいことがあるなら、ちゃんと言え。黙っている方が悪いんだ。」という考え方です。
実は中国人や韓国人も、この点に関しては、はるかに日本人よりも西洋人に近い感覚を持っています。彼らも、自分の主張は、例え根拠があろうとなかろうと、とりあえず徹底的に主張し反論してきます。裏をかえせば、そうしないと相手の言い分が全部通ってしまうような社会で暮らしているということです。日本人のような、相手の立場を考えて、ゆずりあうような社会の方が実は非常に珍しく、世界では理解されにくいのです。
もちろん、日本人の「ゆずりあいの精神」自体は、日本社会の安定に寄与していますから、相手が日本人ならば、裁判にならない限り、そのままでいいと思います。しかし、外国人と主張が食い違った場合は、民事訴訟のことを思い出して、ちょうど訴訟をやっているのと同じ感覚で接すると良いのではないかと思います。
そういう意味で、日本人が外国人との接し方を理解するのに、実は国内の民事訴訟は非常に参考になります。まさしく西洋の考え方を基にして作られた制度ですから、彼らの考え方を知るには、これほどのいい教材はありません。
先ほども紹介した、「例え架空請求であっても黙って反論しなければ、それが事実として認定される」という民事訴訟の考え方は、竹島問題や尖閣諸島問題を考える際には非常に参考になるのではないかと思います。日本人も外国人を相手にする時は、日本流では通用しないということを国内の民事訴訟から学びましょう。









