司法書士ジャーナル
橋本司法書士事務所ブログ

2012年11月

11月 13 2012

私の履歴書⑥ アメリカ大陸横断(1)

さて、そろそろ学生時代は終わりにして、次のエピソードに移ろうと思いますが、前にも話したように、私はサラリーマンを経験していません。ですから就職活動のエピソードというものがありません。結婚と並ぶ人生の一大イベントの経験が無いのは、この年になってみると、非常に残念なことだと思っていますが、その代わりに、恐らく他ではあまり経験できないイベントを経験していますので、それについて話してみようと思います。

私は旅行が国内・海外含めて好きなので、いろいろなところに行っています。その中でも特に強烈な体験として記憶に残っているものを、これからお話します。それは、自動車によるアメリカ大陸横断です。

私はアメリカに語学留学に行っていたことがあります。まずハワイに行って、そこでしばらく海外生活に慣らしてから(いざという時に日系人が多いから)、その後、アメリカ本土に留学しようと計画しました。

当時は80年代後半で、まさにバブル真っ盛りの時代です。日本の留学生が世界中に進出していて、どこに行っても日本人だらけという、今では考えられない様子でした。学校も8割以上が日本人という、正直、何をしにきたのか分からないという状態で、そのまま日本が移動してきたみたいでした。

その中で、一人の日本人と知り合います。彼が大陸横断のきっかけになるのですが、慶応の医学部大学院から派遣されてきた医者で、ハワイで語学研修をした後、東海岸のハーバードに留学が決まっているというエリートです。彼が西海岸のサンフランシスコで学会があるので、そこから東海岸のボストン(ハーバードのある街です)に行く時に、一緒に車で大陸横断しようと誘ってくれたのです。

当時は私も若かったので、こんな無茶な提案に「面白そうだ!」とのってしまいました。もちろん実際に面白かったことは間違いないんですが、長期間2人っきりで車に乗り込んで移動している訳ですから、時にはケンカもします。行きたいところで、もめることも何回かあったのを覚えています。

全行程は約2週間、最短距離でボストンまで行ったら、もちろんそんなに時間はかかりません。確か3~4日もかければ着くはずです。しかし、せっかく行くからには、いろいろ寄り道をして見て回りながら行こうという気持ちになるのは自然の成り行きでした。それも期間は決めていたけど、コースは行き当たりばったりで出発しました。

この大冒険のおかげで、アメリカの道路地図を見るのは、かなりベテランになった自信があります。交代で運転しながら、片方はナビゲーターをしていましたから、嫌でも覚えます。最終的には、始めて行った街でも、かなり細かいところまでドライバーを案内できるようになりました。(当時はカーナビというものは、まだありません。場所は自分で探すしかない時代です)

実はアメリカの住所というのは、日本と違って非常に合理的に分かりやすく出来ています。自分で車を運転してみて、つくづく分かったのは日本の道路や住所がいかに分かりにくいか、ということでした。日本で同じように道路地図だけで縦断しようと思ったら、かなり困難なことになるでしょう。

まずアメリカの場合、住所が分かればピンポイントで建物の場所まで分かる構造になっているのです。アメリカの住所は全てが通りの名前で表示されています。「~アベニュー」とか「~ストリート」とか「~レーン」などです。そして通りの名前の前に地番の数字がきます。「220キングストリート」のようになります。そして重要なのは、この地番が必ず建物の番号になっているのです。

日本のような「~丁目」という概念はありません。しかも、地番は偶数か奇数かで、通りの右側にあるか左側にあるかが決まっています。ということは、地番を見れば、車に乗りながらでも、左に注意すればいいか、右に注意すればいいのかが分かるということなのです。これは日本の住所しか知らない人間にとって、感動的に良く出来ているシステムだと思います。

しかも建物には、車からでも視えるように、かなり大きな文字で地番が書かれているのが一般的です。だから、通りの名前さえ地図で調べられれば、ほとんどの場所には行くことが出来るわけです。(地図は通りの名前が検索できるような作りになっています)

11月 05 2012

司法書士の代理権の範囲

土曜日に司法書士会主催の研修に行って来ました。今回の研修は、「司法書士の代理権の範囲について」というものです。平成15年から司法書士の簡裁代理権が認められ、簡易裁判所の案件に関しては弁護士と同等の権利が行使できるようになりました。それから10年あまり経って、当初は予想していなかった弁護士側からの反論が出てきたので、最近、もめているのです。(裁判で争われている事例もあります)

私の感覚では、ロースクールの登場により、弁護士が大量増員されて、「食えない弁護士」が特に首都圏や関西圏などで無視できないほどに発生した結果、自分たちの領域を守ることに弁護士側が今まで以上に敏感になっている、というのが真相ではないかと思います。(ようは、弁護士が今までと同じように食べていけていたら、恐らく問題は起きていないのではないか、という印象です)

このような動機が疑われるせいなのか、弁護士側の主張は、「ちょっと客観的に見て、強引じゃないかなあ」と思える事例が多いように感じます。私は弁護士と司法書士は敵対関係ではなくて、補完関係であるべきだと考えますので、職域の問題で司法書士を訴えてくる弁護士に対しては、少なからず疑問を感じます。

例えば、よく弁護士事務所のホームページに書かれている「司法書士は全ての債権者を含めた総額で140万円を超えたら債務整理が出来ません。だから、弁護士にお任せ下さい」という文言ですが、こんなこと言い切っていいのかなあ、と思います。

実際には、上記の基準で債務整理を行っている司法書士はいないと思います。これは、別に規則を守っていない訳ではなくて、「そんな基準は、どこにも書いていないのであって、弁護士会が勝手に言っていること」だからです。まあ、弁護士側の主張ということになります。

どこにも書かれていないからこそ、弁護士は訴訟をやってきて、判決を取って、「どうだ判決に書かれているじゃないか。だから、ダメなんだ。」とやりたい訳なんですね。まあ、最終的に弁護士が狙っているのは、最高裁判決を取って、規則自体を変えさせようということなんでしょう。(最高裁判決は法改正の圧力になりますから)

当然、司法書士側にも主張があって、債務整理の金額とは、個別の債権者ごとに判断されるべきもので、個別に140万円以内であれば問題なく司法書士の代理権の範囲であるというものです。何故なら、実際に裁判に持ち込まれた時には、裁判所は個別の債権者ごとに金額の範囲を決めるからです。現実に裁判所が、そのような取り扱いをしていて、それで司法書士が裁判所から拒否されたという事例を私は聞いたことがありません。

この総額か個別かという論争は、和歌山地裁で争われて既に判決が出ています。この和歌山地裁判決では、明確に「代理権の範囲は、個別に金額を判断するべき」と判断されました。司法書士側の主張が認められたことになりますね。

ただ、この件は大阪高裁に控訴されて再び争われています。こちらは、まだ判決は出ていません。弁護士も、しつこく争ってきますね。

ただ、大阪高裁は平成21年に、別の論点で弁護士と司法書士が争った時に、両者引き分けと呼べるような判決を下しています。簡単に説明すると、「今回の司法書士の執務は弁護士の主張から言うと違法になる可能性があるが、当の司法書士には適法だと信じるだけの理由があるので、違法とは言い切れない」というものです。

まあ、完全に適法だと言っていない点で、司法書士が勝ったとも言えないし、弁護士が勝ったとも言えないという、どちらかと言うと裁判所が判断を避けたという感じの判決でした。裁判所からしてみれば、こんな職域争いを裁判所に持ち込むなという気持ちなんじゃないかと想像していますが、いかがでしょう。

私の意見としては、誰が見ても明らかな違法行為ならともかく、裁判所が判断を避けるような微妙な問題に対してまで、こんな争いを続けるのは不毛じゃないでしょうか。もちろん弁護士側が訴えてきているものが100%なので、訴えられた以上は司法書士も対応しない訳にはいかないでしょう。ですから、この問題は、弁護士側が止めない限り今度も続く訳です。(最高裁判決が出れば終わるでしょうが、その後も、また別の論点でやってくるような気がします)

私には個人的に知り合いの弁護士もいますし、個別には司法書士に協力的な人も知っています。しかし、弁護士会という組織になってしまうと一種の圧力団体のような行動を取ってしまうようです。だとしても、せめて争う必要のないような明らかな弁護士法違反などに限定してもらいたいと、つくづく思います。

11月 01 2012

私の履歴書⑤ 学生時代(4)

さて学生時代の、もう一つの課外活動と言えばアルバイトでしょう。実はアルバイトに関しても、私はクラブ活動に関係のあることをやっていました。ゴルフに関係あるアルバイトと言えば、そうキャディです。

いろいろなアルバイトの経験のある人でも、キャディをやったことがあるという人は、かなり少数派なのではないでしょうか。そういう意味では良い経験をさせてもらったと思います。(当時は大変だと思っていましたが)

実はキャディという仕事は現在は少なくなっています。セルフカートと言ってプレイヤーが自らカートを動かしてプレーするのが標準になってしまったからです。今だとキャディ付きでプレーする人は、お金持ちか会社接待かしか残っていないかもしれません。しかし、私の学生時代はセルフプレーは、ごく少数で、一般客はキャディ付きでプレーするのが当たり前でした。

所属していたサークルがコネのある福島県のパブリックコースがあって(那須国際カントリークラブと言います)、そこでは、土日の客が増えた時に増えた分を学生アルバイトキャディに任せていて、毎週末に希望部員を募集しては行っていたのです。

前にも書きましたが、ゴルフコースは大人の社会です。学生だからと言って甘えは許してくれません。お客さんはアルバイトキャディだからと大目には見てくれませんので、粗相があれば容赦なく苦情が入り、後で叱られます。そういう意味で緊張感のある仕事でした。

キャディと言うと、当然、コースに詳しくなければなりません。お客さんからコースについていろいろ聞かれますから。でも1年生のころは何も知りませんので、先輩から受け継いだコース攻略法のメモがあって、それを必死に覚えます。もちろんキャディをやっている最中にも持ち歩いて、時折、盗み見をしながら質問に備えたりします。

このメモが良く出来ていて(何年もかけて作られたものですから)、次のショットに有利なポジションとか、グリーンの芝生の芽とか、隠れているOBゾーンとか、かゆいところに手が届く内容になっていて、得意になって説明して、結構、お客さんに喜ばれたりしていました。(当時は景気が良くて、チップをもらったことも何回かありました)

しかし、体力的には結構、大変で、がけの上から「7番アイアン持ってきて」とか、林の中に打ち込まれると「先に行って探してきて」とか容赦なく言われます。あと、お客さんごとにクラブの種類を覚えるのが大変で、だいだい4人1組で回りますので、4種類のウッド(当時はメタルウッドは、ほとんど普及していません。大半がパーシモン(柿の木)です)、アイアン、パターを覚えこんで、使う度に正確にバッグに戻さなければなりません。

印象に残った経験と言えば、途中で雷が鳴ってきて(ゴルフに雷は天敵です)、サイレンが鳴って、「クラブハウスに引き上げて下さい」とアナウンスが聞こえてきても、一向にプレーを止めないお客さんに付いた時は、死ぬかと思いました。「引き上げた方がいいですよ」と何回言っても聞かないのです。結局、最後までプレーして、クラブハウスに着いた時には、一緒に来ていた他のキャディは、みんなとっくに引き上げていて、「まだやってたの、雷、鳴ってたのに」と驚かれたのをはっきりと覚えています。

サークルが、このアルバイトを何年も続けてきたのは実は理由があって、キャディの仕事が終わった後、なんと無料でコースをラウンドさせてもらえるという特典が付いているからなのです。これは魅力的で、給料よりもこれが目当てで参加している部員も大勢いました。もちろんゴルフバッグは自分でかついで回ります。時間は日暮れまでオーケーなので、夏に行くと結構、長い時間プレーできます。

金曜日の夕方から出かけて2泊3日で日曜の夜に帰ってくるパターンです。土日にキャディとおまけのラウンドをして、給料はだいたい2万円くらいです。交通費もだしてもらえます。運がよければ、さらにチップがもらえることもあります。お金をもらって、さらにゴルフもして帰ってこれるという今、考えたら結構、良い条件のアルバイトですね。

ただ、このアルバイトも今年、40周年の同窓会に行った時に、現役部員に聞いたら、今はやってないということでした。恐らくセルフプレーが主流になって、キャディの仕事自体が今は減っているのでしょう。そうするとアルバイトキャディという存在自体が無くなっている可能性があるので、非常に貴重な経験をしたんだなあと感慨深いものがありますね。