10月
18
2012
日本の大学生活と言えば、欠かせないのがサークル活動とアルバイトではないでしょうか。正直なところ、日本の大学生が大人になるのは、教室ではなくて、課外活動の方が影響が大きいのではないかと、多くの人が思っていることでしょう。私も、この点は例外ではありません。(課外活動を全くしなかった人は、就職でも不利になるというのは、あながち的外れとは言えないでしょう)
私はサークルでは、ゴルフの同好会に入りました。大人になっても出来るスポーツがいいと思ったのがきっかけです。残念ながら現在、腰痛のため、ゴルフは休んでいますので、当初の目的は達成されていませんが。私が入ったゴルフサークルは今年、結成40周年の同窓会が行われました。サークルの割には長く続いているので驚いています。
最初は、気軽な気持ちで入ったのですが、結構、厳しいので後で後悔しました。ゴルフというのは嫌でも大人の社会に入っていきますので、今、考えるとためになることも多かったです。
例えば、月例会という月に1回コースに出て成績を競うコンペがあるのですが、学生ということで、当然キャディなどつけられません。また現在のようにゴルフ場にセルフカートの備えが、ほとんど無かった時代なので、ゴルフバッグは自分でかついでプレーするのです。社会人になってからゴルフを始めた人は、自分でバッグを担いでプレーするというのは考えられないんじゃないでしょうか。(これが原因で、入部当初はたくさんいた女子部員が、半年後には半分以下になっています)
一応、サークル活動なので、ほとんどの部員がフルセットを入れています。バッグの重さは10キロぐらいにはなります。しかも、ゴルフ場は学生に対して徹底的に厳しい要求を出していて、
1 学生は打ったら必ず走ること
2 一般客が追いついてきたら、先に行かせること
3 め土袋を必ず携帯して、打った後は必ず埋めること
(め土袋とは打った後のディボットという穴を埋めるための土が入った袋です。この袋を土で一杯にして各部員が持たされます)
などを、うるさいくらいに言われます。
当時、学生を入れてくれるコースは、それほど多くなかったので、同じコースに複数の大学が重なることもあり、上記のことを守らなかったという理由で、途中で帰らされた大学もあったと記憶しています。(ゴルフ場にとっては、正式な部活も同好会も区別する理由がありませんので、全く同じように扱われるのです)
よく事情を知らない人が「学生のくせにゴルフなんて生意気だ」などと気軽に言いますが、我々のやっているプレーを知っている人は、そんなことは言いません。そもそもテニスやスキーで生意気だと言う人はあまりいないのは、不思議ですよね。私に言わせればテニスやスキーのサークルよりは、よほど厳しい状態でプレーしていると思っています。
上記の指示を守りながらアップダウンのあるコースを10キロ近いバッグをかついで走り回るのです。しかも、学生はワンハーフ(1.5ラウンド)が当たり前という時代だったので、27ホール、距離にして約9キロメートルを、この状態で回ります。
学生を入れてくれるゴルフ場は関東では栃木県や群馬県まで行かないと、なかなか無かったので、東京からだと朝は午前3時とか4時とかに出発します。終わった後は、風呂は一般客が終わった後にしか入れません。途中、ファミリーレストランで夕食をして、帰りはいつも夜10時とか11時です。
まさに強行スケジュールで、体力を使い果たします。後、家から車を借りられる人は、さらに悲惨で、この状態で行き帰りの運転をし、最後に車の無い人の家に送り迎えなどもあります。
また年に2回、春と夏に合宿がありました。合宿は5泊6日でゴルフ場にある宿泊施設に泊り込みます。上記のプレーを5日間やるわけです(最終日のみ18ホール)。終わった時はバタンキューで15時間くらい眠り続けたことがあります。
とても優雅とは言えない学生ゴルフですが、非常に社会勉強になった側面はあります。当時のゴルフ場にとっては学生は「客であって客でない存在」です。明らかに一般客とは区別した扱いですから、「あいさつの徹底」なども、うるさく言われます。生意気な年頃ですから、上級生から言われると素直に聞けないことでも、ゴルフ場から要求されていれば従わざるを得ません。そういう意味で鍛えられた部分はあると思います。
10月
09
2012
司法書士会で強制執行の研修があったので行ってきました。過払金を払わない業者が増えてきたので、最近では強制執行も身近になってきて多数の参加者で会場はほぼ満員でした。
私も強制執行は何度もやっていますので、まあまあベテランの方だと思っていました。確かに研修の大半は知っていることだったので、少し退屈をしていましたが、中には掘り出し物の情報もあり、本日は、その中の一つを紹介しましょう。
公正証書というものがあります。公証人役場というところに行って、公式に約束を証明してもらうものと考えて頂ければ良いでしょう。この中でよく使われるものの一つとして、執行受諾文付公正証書というものがあります。少し長いので省略して執行証書と呼ばれます。
執行受諾とは、もし、この約束を守らなかったら強制執行されても文句は言いませんという取り決めのことです。この取り決めが書かれている公正証書のことを執行証書と呼びます。具体的には、離婚の時の養育費や慰謝料についての執行証書、個人間の貸金についての執行証書などが代表的です。
この執行証書を作っておくと、非常に有利なことがあります。それは、いざ相手が約束を守らなかった時に、いちいち裁判をしなくても、いきなり強制執行が出来るという点です。これだけ有利な点があるからこそ、執行証書は頻繁に作られ利用されます。
しかし一つ問題があります。強制執行をする時には、この執行証書を相手方に送達(郵便で送り受け取りの証明をもらう)しなくてはなりません。強制執行をするということは相手方が約束を破っている時ですから、当然、相手方は警戒しています。そんな時に執行証書が送達されてきたら、「これはヤバイ」と思って金目の物は隠してしまう恐れが充分にあるわけです。
これを防ぐために、執行証書は予め作った時に送達してしまった方が良いということなのです。作った時に送達してしまえば、強制執行の時に改めて送る必要はありません。これなら、文字通り、いきなり強制執行をすることが可能となります。
公正証書を作る時は、相手方も一緒に公証人役場に行って中身を確認したりすることも多いので、それなら、すぐに同じものを送達しなくても良いだろうと考えて、送らない人が多いらしいです。これが後になって、影響が出てくる可能性があるわけです。(弁護士でも気付いていない人が、いるそうです)
いや、良い情報を聞けたと思っています。こういうことがあるから、知っていることでも研修には出た方が良いなと感じます。
10月
03
2012
長引く不況のため、生活保護の申請をする人が増えています。最近、何かとマスコミで話題になっている生活保護ですが、もちろん、不正受給は非難されて当然です。これについては厳しく取り締まる必要があるでしょう。
しかし、一方で本当に必要な人には、きちんと受けられるようにするのも重要なことです。ようはバランスの問題ですね。「生活保護など無くしてしまえ」というのも極端で間違っていると思いますが、逆に、「審査を甘くして、片っ端から通してしまえ」というのも同じように極端で国民の理解を得られないでしょう。
ここでは借金と生活保護の関係について説明してみたいと思います。結構、知られていないのですが、借金をかかえていると生活保護が受けられないのです。これは、明確な理由があって、生活保護は、あくまで本人の生活のためにつかってもらう費用なので、借金の返済にあてることは禁じられているのです。
まあ、考えてみると、借金の返済とは金融機関に、お金が移転することですから、せっかく、生活保護を与えても、それが右から左へ金融機関に払われてしまったら、何のために国家は生活保護を払っているのか分からなくなってしまいます。この点は、ご理解頂けるのではないでしょうか。
では、借金がある生活困窮者は、どうすれば良いのかというと、債務整理をすることになります。実際に、役所の窓口では、申請に来た人に借金があると、法律家に頼んで債務整理をしてもらって下さい、と言います。まずは借金を無くしてから、改めて申請に来て下さいということです。
この場合の債務整理とは、完全に借金が無くなるような整理のことを指します。従って、多くの場合は自己破産になるでしょう。もちろん、過払金が発生していた場合も借金は無くなりますが、この場合は、新たに過払金が返ってくるので、生活保護を受ける必要がなくなる可能性があります。
このように生活保護と自己破産というのは、結構、切っても切れない関係にあるのです。
10月
01
2012
大学は文学部出身です。法律とは全く関係がありません。そもそも学生の時は、自分が将来、司法書士になるなんて想像もしていませんでした。当時は司法書士という資格の存在すら知らなかったと思います。文学部から資格試験を受ける人は、あまりいませんので、そういう情報にも詳しくなかったのです。
私が学生時代を過ごした80年代前半は、女の子は圧倒的に文学部を選択していた時代です。女性で法学部や経済学部、ましてや理系などは非常に少なかったのを覚えています。(別に、これが文学部を選択した理由ではありませんので、念のため)。当時は、明確にやりたいことが決まっている人以外は、女性のほとんどが文学部を受験したんじゃないでしょうか。ということは、当時の文学部は女性の秀才が集中して集まってくる傾向があったので、他の学部と比較しても簡単ではなかったと思います。
私が文学部を選択した理由は、第一には歴史が好きだったこと(日本では歴史は文学部に属しています)、第二はサラリーマンにあまり興味が無かったことです。(今は違います。今となっては、一生サラリーマンでなくても、人生の一部でもサラリーマンの経験をしておけば良かったなと思っています)。
当時は(恐らく今でも)、文学部は就職が悪いので有名です。何で文学部は就職が悪いんでしょうね。私には理由が分かりませんが、別に法学部や経済学部の卒業生が自分よりも、法律や経済に詳しいと思ったことは、正直あまりありませんので、ただの偏見ではないのかと思っています。しかし、現実問題として、就職が悪いのは事実です。(比較的、就職に強いと言われているウチの大学でも、文学部はあまり良いとは言えません)。
先ほどの第二にの理由が、これで説明できます。サラリーマンを目標にしている場合は、文学部は避けるのが当時の常識だったのです。だから、文学部は男性からは敬遠されました。それで、余計に女性比率が高まってしまうのです。
法律や経済に当てはまらない文系の学科は、日本では、ほとんど文学部につっこんでしまうという無茶苦茶な状態になっています。だから、「これって文学部なの」という学科も、たくさんあります。哲学、心理学、歴史学、人類学など、他の国の大学なら独立した学部になっていそうな学科が全て文学部になっているのです。これは日本の大学がサラリーマン養成学校になっている証拠ではないかと思っています。
ようするに、サラリーマンとして就職を目指す人は法学部や経済学部、商学部などに行きなさい、そうでない人は、まとめて文学部に行けば良い、という発想です。大学は興味のある学問をやる場所とは、大学関係者自体が考えていないという、良い例ではないでしょうか。こういう発想に反発して文学部に行ったという側面も私にはあるのです。
ちなみに、私は大学ではイキリス史を専攻しました。歴史に興味があったので、それ以外にもアメリカ史やフランス史の講義なども取っていました。もちろん日本史も好きですが、高校までに散々やったので大学では西洋史を中心に講義を受けていました。
それ以外に、社会に出てから必要だろうと思って、自分で経済関係の本を、やたらと買って読んでいました。経済学部なんかに負けないという気持ちも多少あったと思います。結局、大学を卒業する頃には、経済学部の人間と話をしても全く困らなくなる程度にはなりました。分野によっては私の方が詳しいと思うものもありました(ジョン・メイナード・ケインズなど)。でも法律の本は読んでいなかったですね。何故でしょう。当時の私は必要性を感じていなかったことになりますが、今となっては忘れてしまっています。タイムマシンでもあったら、当時の私に質問してみたいです。
9月
25
2012
私の通った大学は東京、吉祥寺にある成蹊大学です。吉祥寺は、かなりの繁華街なので、そんなところに大学があるのかと思われるかもしれませんが、もちろん街中ではなく郊外にキャンパスがあります。と言っても、15分も歩けば吉祥寺の駅に着く程度の距離です。
簡単に大学の紹介をしておくと、結構、キャンパスは広くてきれいです。東京の大学キャンパスは土地が高いせいもあってか、せまいところが多いですが(特に私立大学は)、成蹊大学はかなり広いですね。ケヤキ並木が有名で「新東京百景」に選ばれています。
三菱グループがバックアップして創立されたという背景があるので、大学の知名度の割には就職が良いとの評判があります。もっとも、私は、サラリーマンはなりませんでしたので、そのメリットは享受できていませんが。たまに友人に会うと結構、出世していたりするので、「オレもサラリーマンになっときゃ良かったかな」と、ちらと思うことがありますが、すぐに、「やっぱり、オレがサラリーマンになったら上司とそりが合わなくて、出世はしていないだろうな」と思い直します。
卒業生で有名人と言うと、元首相の安倍晋三(もう一度、首相になるかもしれませんので応援してます)、元日弁連会長の梶谷剛。アナウンサーの高島彩、作家の石田衣良・桐野夏生、俳優の中井貴一・鶴見辰吾などでしょうか。
ちなみにテレビに出てくるような有名人ではありませんが、実業界には滅法強く、現社長が卒業生である企業は、アサヒ飲料、富士重工、中部電力、西部鉄道、紀伊国屋書店、森永乳業、集英社、小学館、堀プロ、敷島製パン、エイデンなどがあります。
さて、私が学生生活をおくったのは1980年代初めです。当時はもう70年代に荒れ狂った学生運動は消滅していました。他の大学の友人にも聞いているし、実際に他の大学のキャンパスにも、いくつか足を運んだことがありますので、私の大学に限ったことではないと思います。キャンパス内でヘルメットをかぶったデモなどに、お目にかかることはありませんでした。
東京で一人暮らしを始めた私は、まず下宿を探しました。見つけたのは2階建て6畳の木造アパートです(6部屋ありました)。小さいですが風呂はついてました。もちろんエアコンなどはありません。当時は、4畳半で風呂なしというアパートも結構あり、これでも「ぜいたくだ」と非難されることがありました。友達が風呂に入りに押しかけてきたことも何度かあります。今では考えられないですね。
訳あって、社会人になった後も学生と接する機会が多かった私は(理由は、おいおい説明していきます)、もはや風呂なしアパートというのは学生の下宿では、かなりの少数派になっていること知りました。おかげで銭湯が廃業していると聞きます。最近ではエアコンも付いているのが当たり前だそうです。いやあ時代は変わったものです。
下宿の場所は、井の頭公園の裏手になります。井の頭公園と言えば、頻繁にテレビドラマの舞台になっていることで知られています。テレビの画面で池のある風景を見覚えがある人も多いでしょう。(井の頭公園とは、吉祥寺の街の裏手にある東京都内でも有名な公園のことです。吉祥寺のシンボルのような存在になっています。夏はカップルが滅茶苦茶に多いので目のやり場に困ります。)
学生時代は、「アパートの窓から井の頭公園が見えますよ」と言うと、「え、あのテレビによく出てくる場所ですか」と言って、驚かれたものです。実際、風景のきれいな場所なので、よく散歩しました。井の頭公園周辺には割と芸能人が多く住んでいるので、たまに会うこともあります。
今と違って学生の下宿にはエアコンが無いのが当たり前の時代ですから、真夏や真冬は、とても快適とは言えませんが、その分、歩いて行ける範囲に吉祥寺の街や井の頭公園があったのは、周りの環境は快適だったと言えるでしょう。
9月
24
2012
過払金返還請求のページの上部に「最近の業者の状況」というアイコンがあるのを、ご存知でしょうか。各業者別に当事務所の経験に基づいて過払金返還請求をした場合の一般的な対応を書いています。
しかし最近では、各業者の経営状態も頻繁に変化し、それに伴って過払金の支払態度も変わっていきますので、ある程度の期間で、このページは更新する必要があります。
これをふまえて、このページの冒頭に更新日付を記載しています。いつ頃に更新したのかを閲覧する人が分かりやすくする為です。
本日、「最近の業者の状況」は更新されましたので、報告いたします。
このホームページを訪れた人の参考になれば幸いです。
9月
20
2012
住宅金融支援機構という組織があります。住宅金融公庫という昔の名前の方がなじみのある人も多いかもしれません。住宅ローンを組んでいる人のうち、かなりの割合でここのローンを利用しています。日本では最も有名な住宅ローンを提供する組織と言ってよいでしょう。
住宅ローン特則付個人再生を検討している人も、多くは住宅金融支援機構のローンを組んでいます。私が依頼を受けた経験で言うと8割から9割の人が当てはまるのではないでしょうか。
個人再生を検討している人は当然、住宅ローン以外にも多額の借金がある人ですから、少しでも返済額を減らしたいという要求があります。特に個人再生の場合、裁判所で支払可能性についての審査がありますので、収入に対する住宅ローンの割合が多すぎる場合、審査で引っかかる可能性が出てきます。
こういう場合に役に立つのが住宅金融支援機構のりスケジュールの制度です。簡単に言うと、支払いが苦しくなった人に向けて返済計画を変更する制度のことです。略してリスケと呼ぶこともあります。
これには、一定期間(3年のことが多い)支払額を減らしてくれる変更が含まれていますので、個人再生との相性がいいのです。個人再生は、3年間で他の借金を減額して返済する計画になっていますから、3年間、住宅ローンの返済額を減らしてくれたら、3年後には他の借金は無くなっている訳ですから、ちょうど良いのです。
実は、この制度は普通の民間銀行の場合、なかなか取り扱っていないのが実情です。民間銀行の場合、苦しいから返済計画を変更してくれと言いに行くと、なんと、「じゃあ、自宅を売却して返済して下さい」とか平気で言ってきます。血も涙も無いとはまさにこのことでしょう。(こんな調子だから民間銀行は嫌われるのでしょう。よく官から民へと言われますが、すべてに当てはまることではないという、いい例です)
私は、この制度がある為に、多少、金利が高かったとしても、住宅ローンは住宅金融支援機構を利用すべきだと考えています。今の時代、先行きがどうなるかは誰にも分かりません。いざという時に返済計画の変更に応じてくれない民間銀行は非常にリスクが高いと言えます。
同じ理由で、頭金が少ない為に、複数の住宅ローンを組む場合には、住宅金融支援機構から限度額一杯まで借りてから、残りを民間銀行にするのが良いでしょう。
より詳しい情報を知りたい方は以下をクリック
↓
http://www.hashiho.com/debt/kojinsaisei/
9月
19
2012
さて、このブログでは今まで自分のことについて話をしたことが、ほとんど無かったのですが、「私とは、どんな奴なのか」というのは相談する人から見ても関心のあることだと思いますので、これから少しずつ、話をする機会を増やしていこうと考えています。では、まず高校時代から、いきましょう。
私は地元の私立東海高等学校の出身です。中高一貫の6年間の学校ですが、高校からも募集していますので、高校から入学してくる生徒もいます。私は、中学からの進級組です。一応、地元では進学校として知られていますが、なかに入って6年過ごした感想としては、「とても進学校とは思えないな」という印象です。
一般的な進学校のイメージというのは、先生は、いつも勉強のことだけでを要求して、生徒は全部お互いが競争相手でギスギスしていて、補修がやたらと多く組まれていて遊ぶ時間も無い学園生活というものでしょうか。
しかし、私が経験した高校生活は、上記とは真逆のものでした。そもそも、本当に上記のようなイメージどおりの進学校はあるんでしょうかね。何だかマスコミが勝手に広めた幻想のような気がするんですが。
私の通った東海高校の現実は、先生はいい加減で、しょっちゅう授業が脱線して決められた範囲まで終わらないことがよくあり、生徒は先生をからかうことが良くあり授業中に爆笑が起こることも珍しくなく、部活や遊びも結構、熱心で、文化祭や体育祭などかなり盛り上がり、生徒間の仲間意識も強く(卒業してからも続いています)、そして何より、「勉強は自分でやるものだ」という意識が先生にも生徒にも強く、無理やり試験や補習をやらされたという記憶が、ほとんどありません。
こういうと、「お前は成績が良かったからだろう」と誤解する人がいるかもしれませんが、私の高校時代の成績は決して良くありませんでした。中学時代は上位だった時期もありますが、良く言われる6年間の中だるみというやつで、高校時代は遊びの方に熱心で成績は下がり気味でした。
普通は大学に入ってから覚えるような遊びを、高校時代に一通りやっていました。麻雀やビリヤードなど通いつめたこともあります。試験期間中にボーリングや映画に行ったこともありました。これでは、成績が良くなるはずがありませんね。
しかし、こんな状態でも、学校から勉強を強制された覚えはありません。ある意味、不親切で放任主義という見方もあるでしょう。でも暗い学校生活では無かったことは断言できます。私は、東海高校の放任主義で自由な校風をとても気に入っていて同時に感謝もしています。生徒の方から、「どうしたら良いか」と訪ねてきたら助け舟はだしてやる、そうでない限り放っておくというのが基本的なスタンスだったと思います。
ある時、先生がこんなことを言っていたのが、とても印象に残っています。
「東海が、補習や試験をもっと増やして、学校が生徒にもっと強制したら、おそらく進学実績はもっとよくなるだろう。でも生徒の自主性という大切なものが失われてしまう。」と。
良くも悪くも私は、こういうスタンスの学校に6年間も通ったおかげで、割と自由な物の考え方をするように育ったように思います。サラリーマンや公務員ではなく、独立開業の司法書士という仕事を現在やっているのも、少なからず高校時代の影響があるのではないかと感じています。
9月
12
2012
会社破産をするには取締役全員の同意が必要となります。会社には様々な手続がありますが、通常は取締役の過半数とか株主総会の過半数とかで決定することが多いです。全員の同意が必要というのは、かなり珍しいケースで、それだけ重要な決定ということでしょう。(まあ、会社を廃業するのと同じことですから、これ以上、重要な決定は無いとも言えますが)
ちなみに重要な決定ですが、株主総会の決議は必要とされていません。ようは株主には知らされずに破産の準備は行われることになります。前のブログにも書きましたが、会社破産は迅速さが求められます。同時に出来る限り秘密に進めていく必要もあります。この迅速と秘密を考えた場合、株主総会などやっていたら、とても破産など出来ません。株主は取締役と違って、会社によっては膨大な数がいますので、召集するのにも時間がかかりますし、召集の過程で多くの人間に知られることになりますから。
そして、何より、これから破産する会社の株を持っている人はいませんので、投売りが始まってパニックになってしまうでしょう。
従って、株主から見ると理不尽のように見えますが、株主には何も知らされずに会社破産は準備されるのです。
一つ疑問なのは、取締役の中に株主がいた場合は、その人は当然、知っていることになります。この人は合理的な行動としては、即刻、全株式を売るでしょうが、これは果たして許されるんでしょうか。何だかインサイダー取引になるような気がするんですが、どうなんでしょう。
現在の会社法では取締役会を設置する会社と設置しない会社の両方が存在します。設置する会社の場合は、単純に取締役会を開いて全会一致で決めれば良いのですが、設置しない会社の場合は、取締役全員の同意書が必要になります。これは、持ち回りでも構わないので、全員から同意した旨の書面をもらっておくのです。
現実には、突然、切り出された場合、紛糾して収拾がつかなくなる可能性が高いので、事前に根回しをしておくことが必要でしょう。一人でも反対したら破産は出来ない訳ですから、きちんと説得した上で必ず同意してもらう状態でのぞむことが重要です。
9月
11
2012
株式会社ギルドは変化の激しい消費者金融業界においても、かなり目まぐるしく変化した業者の一つでしょう。ここで、その変遷を整理してみます。
もともとは、ハッピークレジット株式会社、株式会社信和(スマイル)、山陽信販株式会社の3社が合併したのが始まりです。それぞれ地盤にしていたのが、ハッピーは関西、信和は中部、山陽は中国と分かれていたので、合併しても競合することが無く有利に働いたということがあります。
合併してできたのがトライト株式会社です。この会社はアイフルの子会社でした。トライト時代は過払金の支払いも良かったのは記憶に新しいところです。
その後、親会社のアイフルの経営が悪化し始めたので、アイフルが子会社を売却するようになり、トライトも例外ではありませんでした。結局、アイフルの方針でトライトはネオラインキャピタルに譲渡されることになりました。この時に社名を変更し株式会社ヴァラモスになりました。
しかし、消費者金融の経営悪化の波はネオラインキャピタルにも及び、再び株式を譲渡されることになります。今ではネオライングループとの資本関係は無くなり、この時に社名が株式会社ギルドに変更され現在に至っています。
アイフルやネオライングループから離れた結果、完全に資金力が無くなったようで、ギルドの過払金の支払いは悪化の一途をたどっています。もはや訴訟で勝訴判決を取っても1割以下の支払いを強要されます。
しかし、ヴァラモス時代から、強制執行をすると満額支払ってきたことがある会社です。ギルドになって、より厳しくなりましたが、強制執行の後に財産開示請求まですると満額支払うことがあるという情報もあります。ヴァラモス時代のこともありますので、試してみる価値はあるかもしれません。